出張中に会社の携帯電話に一通のメールが届きました。
情報システム部という、ネットワーク関連を管轄している部署です。
どきっ としました。
思い当たる節があります。
支店長のパソコンから、以下のサイトに
膨大な通信のやり取りが確認されています・・・
そのサイトは、FXサイトでした。
あろうことか、私は勤務中に仕事をしながら
FXのチャートを見ておりました。
ログに膨大なデータのやり取りが残っていた日は、
私がサイトを閉じるのを忘れて外へ出かけてしまった日でした。
「やってしまった・・・。」
ついに、来るべき日が来た気がしました。
メールをもらったことで、仕事に集中できていない自分が再認識され
もう、指揮を取る立場でいるわけにはいかないと強く思いました。
出張から帰ると、電話で伝える勇気もなく、パソコンを開き
三役と人事部長に正直に謝罪のメールを送り、土日を迎えました。
月曜日の朝に、尊敬する直属の常務から朝一番に電話がかかってきました。
常務
「部下に示しがつかんだろ?どうするの?」
私
「・・・辞めます。」
常務
「何言ってんの・・・」
常務は驚いて電話ではあまり話ができませんでしたが、
びっくりしていた様子でした。
でも、私の中では一つの結論がもう出ていました。
その日に妻にすべてを説明して、心中を打ち明けました。
私
「・・・もう、辞めたいと思う。」
妻
「・・・辞めたら。」
意外とあっけない答えに少々戸惑いましたが、
もともと転勤で疲れ果てていた嫁は、私の様子も見た上で
すんなりと受け入れてくれたようでした。
もう、後は行動に移すのみです。
2010/04/28
2010/04/22
独立っていいなあ
こんばんは、天職ナビゲーターの山口です。
会社員を辞めることを決心したことを前回お話ししました。
今日は、辞めるきっかけになった事件、その1についてお話しします。
もうそろそろ会社を辞めないといけないと思い始めたころ
タイミング良く、起業して20年経った社長さんにお会いしました。
新規営業の一環です。
お会いした社長さんは、会社を辞めてしまった人を探している
というお話をされて、じつは経営している会社は辞めた人ばかり
を雇用しているという事が分かりました。
辞めた人ばかりを雇用する理由は、会社の大変さを理解していて
自分のポリシーがあって合わなくなったからという人も多く
仕事は出来る人が多いので、そこがとても良いという事でした。
賃金面でも折り合いがつきやすいとも言っておられました。
他にも、銀行の融資は、景気が悪くなると途端に貸し渋るので
景気の良い時に銀行からお願いに来た際に低金利で借りておくとよい。
とか、
借りたお金は一切手を付けずに
自らの会社の資金の範囲で小さく地道にやってゆくのが良い
とか、
起業をするなら一度会社に入って勉強した後
35歳ぐらいからが一番良い
などというお話を伺いました。
仕事柄、いろんな経営者の方と話す機会に恵まれましたが
自らが経験、成功されてきた経営者のお話は、
本を買って読むよりも非常に参考になりました。
独立を考えはじめていた私には3時間という面談時間は
あっという間でした。
今になって考えてみると、
独立しようという選択肢がはっきりと見え始めたのは
この社長さんとの面談以降であった気がしています。
あなたにもいろんな出会いがあると思います。
女性かもしれませんし、本かもしれません。
自分の中に何となく引っかかるものであったり
興味を惹きつけられるものを知っておくということは
あなたを理解する上ではとても重要なことになります。
自分の好きな人であれば、どんなところが気に入っているのか、
気になるものは、なぜそれに魅かれているのかという
根本のところに気がつくと、自分への理解が深まることでしょう。
まずは、自分が何に興味があるのか?
というところに意識を向けてみて下さい。
私の場合は、独立成功している社長さんとの面談が
自分の心のどこかで望んでいることに気がつくことができました。
そこに、私にとって非常に大きな事件(きっかけ2)が発生します。
このことで私は辞める行動に移すことを決定的にしました。
転勤族サラリーマンの生活
はじめまして、山口と申します。
不況にあえぐこの今の時期に、後先考えず脱サラしました。
なぜいまこの時期にと思われる方がほとんどだと思います。
まずは、そのきっかけをお話しします。
私が、13年勤めた会社を辞めると決心したのは2009年の10月でした。
製造業を主な得意先として、品質保証のためのコンサルタントをメインに
全国展開している企業に勤めていました。
私の担当は群馬県を拠点として群馬、新潟、長野のエリアに展開していました。
会社自身の業績は、私が入社してからずっと右肩上がりを続けてきていて、
数ある日本企業の中でも超優良企業の部類だったと思います。
支店での総責任者である私が辞めるなんてことは
本来あってはならないことです。
実際、会社には動揺を与え、辞めるまでには多少の時間がかかりました。
ではなぜ、辞めることになったのか
その経緯をお話ししたいと思います。
私は、この会社の仕事が大好きでした。
日本の消費者は超過敏な性質であるために、
メーカーは日々、細心の注意とコストをかけ製造しています。
そんな中、お客さんのところへ出向き、改善の必要なところについて
相談にのり、テコ入れし、うまくいった場合は非常に感謝されます。
時には大変なこともありますが、本気だからこその結果です。
しかし、社内ではマネージャーの立場としての仕事が多くなり
社内の取りまとめや会議などに出向くことも多くなりました。
出張が増え1か月の5日~7日は家に帰れなくなりました。
後から考えると現場から離れることは、あまり好ましくなかったようです。
更に決定的だったのは、家庭の環境です。
転勤族だった私の家族は、四国の地元が大好きな嫁と子供たちでした。
地元に近かった頃は、連休のたびに帰省していましたが、
北関東と四国を、5人でたびたび移動することは経済的に困難です。
知り合いのいない生活をしてゆく過程で、
出張で帰宅しない夫と、手のかかる3人の娘を一人で育てる中で
妻は大きなフラストレーションを抱えることになりました。
群馬で3年経過した妻の状態は、プチ鬱な状況になり
ひどい時は、頭痛で朝は1週間程度は起き上がれず
子供に対してはヒステリックな状況が目に余りました。
子供たちも笑顔がめっきり少なくなり、家に帰るのは
苦痛以外の何ものでもなくなりはじめていました。
そんな中で、現状への疑問が起き始めていた時に
ひとつのきっかけが起きます。
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