2010/04/22
転勤族サラリーマンの生活
はじめまして、山口と申します。
不況にあえぐこの今の時期に、後先考えず脱サラしました。
なぜいまこの時期にと思われる方がほとんどだと思います。
まずは、そのきっかけをお話しします。
私が、13年勤めた会社を辞めると決心したのは2009年の10月でした。
製造業を主な得意先として、品質保証のためのコンサルタントをメインに
全国展開している企業に勤めていました。
私の担当は群馬県を拠点として群馬、新潟、長野のエリアに展開していました。
会社自身の業績は、私が入社してからずっと右肩上がりを続けてきていて、
数ある日本企業の中でも超優良企業の部類だったと思います。
支店での総責任者である私が辞めるなんてことは
本来あってはならないことです。
実際、会社には動揺を与え、辞めるまでには多少の時間がかかりました。
ではなぜ、辞めることになったのか
その経緯をお話ししたいと思います。
私は、この会社の仕事が大好きでした。
日本の消費者は超過敏な性質であるために、
メーカーは日々、細心の注意とコストをかけ製造しています。
そんな中、お客さんのところへ出向き、改善の必要なところについて
相談にのり、テコ入れし、うまくいった場合は非常に感謝されます。
時には大変なこともありますが、本気だからこその結果です。
しかし、社内ではマネージャーの立場としての仕事が多くなり
社内の取りまとめや会議などに出向くことも多くなりました。
出張が増え1か月の5日~7日は家に帰れなくなりました。
後から考えると現場から離れることは、あまり好ましくなかったようです。
更に決定的だったのは、家庭の環境です。
転勤族だった私の家族は、四国の地元が大好きな嫁と子供たちでした。
地元に近かった頃は、連休のたびに帰省していましたが、
北関東と四国を、5人でたびたび移動することは経済的に困難です。
知り合いのいない生活をしてゆく過程で、
出張で帰宅しない夫と、手のかかる3人の娘を一人で育てる中で
妻は大きなフラストレーションを抱えることになりました。
群馬で3年経過した妻の状態は、プチ鬱な状況になり
ひどい時は、頭痛で朝は1週間程度は起き上がれず
子供に対してはヒステリックな状況が目に余りました。
子供たちも笑顔がめっきり少なくなり、家に帰るのは
苦痛以外の何ものでもなくなりはじめていました。
そんな中で、現状への疑問が起き始めていた時に
ひとつのきっかけが起きます。